SHOONIN Lab.

音楽の作り方・マーケティング・自己啓発などについて

【私の一人暮らし】自分の家を敢えて「溜まり場」にしよう!

僕が初めて一人暮らしをしたのは大学に入った時だ。引越しをする時、父親から「学校の近くには住むな」と言われた。理由は「溜まり場」になるからだそうだ。ナルホド、そういうこともあるのだな、と特に気にも止めず僕の一人暮らしはスタートした。

 

 

神奈川県 橋本駅

橋本は駅周辺にデパート、家電量販店、映画館が揃っている。若者も多く栄えている街と言えるだろう。その割に駅から少し離れれば閑静な住宅街が広がっており、田舎出身の僕にとっては住み心地の良い街だった。

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そこで借りた家は学校の最寄り駅から数駅電車に乗った所にある。初めは新しく知り合った友達を呼んで映画鑑賞会なんぞをやったり、凝った自炊をしてみたりする。だがそんな生活には1ヶ月で飽きてしまった。人はあまり呼ばなくなり、晩御飯は専らスーパーの惣菜か炒飯になる。よって男は炒飯が得意料理になる。炒飯すら作れない男はクソだ。

 

3ヶ月目くらいから帰ったらYouTubeを見るか、ニコニコ動画を見るか、ギターを弾いて歌うだけの生活になる。完全なダメ人間。人間何も生み出してないことを自覚するとダメらしくこの頃はかなり心身共に痩せていた。

そしてダラダラ生活を続け、このままでは何の為に上京したのか分からないと焦った末に始めたのがDTMだった。あまり人が来ないのが功を奏したのか、研究する時間だけは腐るほどあったので、この時ひたすら色んな音楽を聴きまくった。ただ、どうしても曲を量産することができなかった。

 

東京都 豊田駅

程なくして、大学のキャンパス変更のため、学校の近くに引っ越しをした。以前は学校に行くために電車に乗る必要があり、これがメンドクサかったからだ。人(僕)が物事を成し遂げられない理由の根底にはいつもメンドクサイがある。この時、父の「学校の近くには住むな」 という言葉が頭をよぎったが敢えて無視した。ごめん父。

ちなみに豊田駅の周辺はどうだろう、と見てみる。何もなかった。一番大きなお店は西友だ。橋本では片隅に追いやられていた西友が、豊田では最強にして最高。ドラゴンボールで言うとセル編からフリーザ編に逆戻りしたような感覚である。

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さて、話を戻すが僕は父の言葉に反して学校の近くに引っ越した。結論から言うと、我が家は「溜まり場」になった。毎週金曜Mステを見ながら、酒瓶を5,6本空けていくのはデフォルトで、+αの飲み会が開催された。

これが楽しかった。

 

「溜まり場」というと悪いイメージが付きがちだが、嫌な思いはあまりした記憶がない。たまにゲロ吐かれたり、エロ動画フォルダを発掘されるくらいだ。それに人がいる時間もそんなに長くはない。多く見積もっても、「人がいる時間 : 1人の時間 = 1 : 3」くらい。来る人は好きな人しかいなかった。

我ながら良い友達に巡り会えたと自負しているが、頭が良くて、博識な人が多かった。音楽、アニメ、政治、経済…色んな話をした。自分の考えや、作った音楽についても素直に答えてくれて、他人との距離感を養うことができた。

また、こうやって人と触れあう様になってから色んな曲が書けるようになってきた。感情の振れ幅が大きくなれば、それだけ曲にしたいことも増える。この「溜まり場」での時間は今の自分を支える財産になったと思っている。

 

まとめ

今はもう豊田には住んでいないが、自分の家にはできるだけ人を呼ぶようにしている。やっぱり人が来ると綺麗になるし、家で話した内容は飲み屋で話した内容とは変わってくる気がするからだ。

そんなイメージがあるからか、僕の中で自分の家のドアをくぐった人は少し特別な人になる。だから今も自分の家が「溜まり場」になれるよう暮らしている。自分の場所が好きな人で埋まるのは気持ちの良いものなのだ。