SHOONIN Lab.

音楽の作り方・マーケティング・自己啓発などについて

小室哲哉という非凡

先日から小室さんの記事や記者会見をよく見かける。 ネットでは様々な意見が出ている。特にミュージシャンの方々は怒りを露わにする人もいれば、世間が間違っていると言う人もいる。

じゃあ僕はどうかというと、可哀想だなとは思うけど正直みんなの様な特別な怒りや同情心は無い。これはどうなんだろう。冷たいのだろうか。 おそらく親しい人がこういう目にあったら怒ると思う。いや分からんけど。

ただここで思考停止してはいけないと思い、これを機に(世間の流れに乗っかって)この報道についてもうちょっと深く考えてみることにする。

 

まぁこういう意見の人の方が多いと思うが、そうはいってもこの報道が勧善懲悪の善事とは思えない、ということである。

昨今の不倫報道に共通して感じるのは、その人の生活全体の一部ダメな点を取り上げて、そこを集中的に叩くということ。ここに人間の嫌な部分が出てるなぁと思う。確かに叩くのは簡単だ。ただ、それによってそのダメな点とは関係ない部分までダメにして責任を取らせるのはどうなんだろう。今回の小室さんの件もそう。しているかどうかも分からない不倫を報道することで、最終的にプライベートをさらけ出して引退するところまで行ってしまった。

こういう時に発信者は言うのだ、「そんなつもりじゃなかった」と。

 

僕は昔から噂話が好きじゃない。

 クラスメイトが言う「○○って××らしいよ」という言葉に嫌気が差す。その殆どが確証のない偏見だった。下世話な話だった。

だから?じゃあお前はどうなんだ?といつも思っていた。

そしてその目はいつも 非凡な人に向けられる。

 

スポーツのできる人

勉強のできる人

かっこいい人

可愛い人

変わった人

 

「普通」という枠から外れた人を、人はいつも気にしている。

みんな同じじゃなきゃいけない。みんなと違う事をしてはいけないという同調意識を感じるのは僕だけだろうか。

そして小室さんはその中でも更に「普通」からかけ離れている。幼少期から音楽で非凡な才能を発揮し、世間一般では考えられないお金を使って、素晴らしい作品を世に残してきた。

そうやって世間から注目され、一挙手一投足を取り上げられてしまう。悪い点が一つもない人なんていないだろうに。

 

人間は完璧ではない。どうか非凡な人をいじめないでほしい。どこか特出したダメなところがあっても、どこか特出した良いところもある。一人一人が少し優しくなるだけで、1つの才能は守られることもあるのだ。